鬼は外 福は内
節分と豆まきは、セットになっていたわけではないようです。豆まきは、唐の時代日本に伝わった「追儺(ついな)」と呼ばれる風習がその由来!
しかし、追儺は大晦日に行われていて、節分に行われる儀式とは別物でした。
追儺が日本で初めて行われることになったのは、疫病が発生した慶雲3年(西暦706年)の大晦日だったようです。
当時、疫病による犠牲者が多数出たため、疫病を祓うための儀式が行われたことが続日本書紀に記載されているそうあえす。
その儀式が追儺だったと考えられている。
行事に取り入れられ、大晦日の儀式として定着しました。
行事では、鬼を追い払う役目の役人が手下を引き連れて「鬼やらい、鬼やらい」と唱えながら、災厄を追い払っていたそうです。
疫病をもらたすとされる鬼を追い払うという思いは、いまの豆まきと同じです。
当時は豆ではなく、桃の弓と葦の矢、小豆、五穀、小石などが使われていたそうです。
今回 今の全世界 疫病騒ぎ コロナウィルスと 今まさに戦っているさなか
歴史に残る日々です。
鬼は外 福は内